「やばい。どうしよう。どうすればいい?和希〜。」

夏休みも間近のある日。俺は体中の血が引く音を聞いた。

「そんな事言ったって仕方ないだろう。来週までに頑張れば大丈夫だよ。」

今はそんな和希の慰めも耳に入らない。

そう。俺は期末テストで赤点を取ってしまったのだ。しかも英語のヒアリング。

「いいじゃないか。七条さんに教えてもらえば。アルティメットだろ?英語。」

ちょっと冗談めかして言ってくれるのは嬉しいんだけどダメなんだ。

「ダメだよ。テスト前に教えてもらったんだ。こんな点取ったなんて言えないよ。」

本当はそれだけじゃないけど、でも、知られたくない。

「じゃぁ。俺が教えてやるよ。俺も英語得意だぜ。」

それはとても嬉しい申し出だけど、、それもダメな気がする。

「うん。ありがとう和希。でも俺自分で頑張るよ。ごめん。取り乱して。」

「いいさ。わかんない所とかあったらいつでも聞けよ。教えてやるから。」

「サンキュー。七条さんにはナイショにしておいてくれよ。」

俺の涙目の訴えに和希は苦笑しながら手を振る。

「じゃぁまた後でな。」

「うん。ごめんな。」




あぁ。どうしよう。七条さんに絶対言えないや。
英語は苦手だからって、特に念入りに教えてもらったのにな。
でもヒアリングだから誰かに教えてもらわないと良く分からないしな。

七条さん以外に教えてもらうとなると…
和希や成瀬さんだと七条さんヤキモチやくし。
王様は忙しいだろうし、中嶋さんはもってのほかだし…。
そうだ篠宮さんか岩井さんにお願いしようかな。



「啓太。間の抜けた顔をして廊下を歩くな。見苦しい。」

「わっ西園寺さん。ビックリしました。すみません。ちょっと考え事をしていて。」

いつの間に後ろにいたんだろう。軽く5センチぐらいは飛び上がったかもしれない。
そこまで考えてはっと西園寺さんの後ろを見る。

いつも西園寺さんの後ろに当たり前の様にいる七条さん。
今はその姿が見当たらずホッと溜息をつく。

「何だ。臣を捜しているのか?今日はアイツは来ないぞ。とにかく中に入れ。
廊下で見苦しい顔をするのはよせ。」

見苦しいなんて…そんなにヒドい顔なのかなぁ…。
軽いショックを受けていると容赦なく西園寺さんの命令が下る。

「啓太。私に紅茶を煎れてくれ。
その後だったら考え事の内容を聞いてやってもいいぞ。」

その瞬間俺の中である考えがひらめいた。

紅茶のポットとカップ&ソーサーを西園寺さんの前に置きながら
俺はおずおずと切り出した。

「あの…西園寺さん。お願いがあるんですけど…」

「何だ。お前のお願いは珍しいな。
私で出来る事ならかなえてやるぞ。」

「あの…あの…俺実は英語のヒアリングで赤点取っちゃって…
来週追試なんです。
教えてもらえないでしょうか。」

学園一の頭脳を誇る西園寺さんにこんな事を言うのはものすごく恥ずかしいけど、
この際背に腹は変えられぬ。

俺の情けない顔に西園寺さんにしては珍しく笑った。

「どうして臣に頼まないのだ。お前は臣にいつも教わっていたはずだが。」

ごもっともな意見に俺は更に小さくなりながら続ける。

「出来たら七条さんにはナイショにして欲しいんです。
俺せっかく教えてもらったのに顔向けできませんから。」

そんな俺の言い訳に西園寺さんは多分…いや絶対気付いているはずなのに、
何も言わないでいてくれた。

「ふっ。いいだろう。啓太のお願いだ。断るわけにはいかないな。
それに臣にナイショで啓太を独り占めするのも楽しそうだ。」

独り占めと言われましても…
まぁとにかく西園寺さんなら七条さんも怒らないだろうし…。

「では啓太。今日は夕食と入浴を済ませた後、私の部屋に来るといい。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」




夕食の前に和希と偶然出会って一緒に食事をしたけれど、
今日は何故か七条さんに会っていない。

いつもだったら部屋に迎えに来てくれるのに。
でも今日は俺が後ろめたくてちょっとほっとしている。

こんな事思ったらすごく申し訳ないとは思うけど、
でも七条さんに会ったら西園寺さんにお願いした事をちゃんと説明する自信がない。

そんな事を考えながら部屋に向かって歩いていると、
なんとむこうから西園寺さんと七条さんが来るのに遭遇してしまった。

「あっこっこんばんわ。西園寺さん。七条さん。」

「こんばんわ。伊藤君。夕食はもう済みましたか?」

「あっすみません。食べちゃいました。」

しまった。ひょっとして待っててくれたのかな?

「いいんですよ。僕も今日は郁の用事で遅くなりましたから。」

にっこり微笑まれてよけいに動揺してしまう。

「おや。どうかしたんですか?今日の伊藤君は何か変ですよ。」

「えっ?いいえ。別に何も…」

さっさすが七条さん。スルドい。

「そうですか?
では食事が終わったら伊藤君の部屋にお邪魔していいですか?」

「えっええ?あの…いえ…今日は…その。」

「臣。啓太は今日から1週間私が借り切る。」

俺の言葉を遮るように西園寺さんが助け舟を出してくれた。
ああ良かった。ホッとした瞬間七条さんの目がすっと細められる。

「どういう事ですか?郁。僕は何も聞いてませんが。」

やばい。怒ってる?

「だから今言っている。
私が啓太に仕事を頼んだ。
1週間啓太は私の物だ。」

「その申し出は郁といえど承服しかねます。」

「ところが啓太は納得している。そうだな啓太。」

ええ?俺にふらないで。西園寺さん。

「は…はい。すみません。七条さん。1週間だけいいですか?」

どうしよう。気まずくて七条さんの顔が見れない。

「そう…ですか?伊藤君がそう言うなら仕方ありませんね。
わかりました。おとなしく1週間待つ事にします。」

よかった。結構すぐわかってくれたみたい。

「本当にすみません。七条さん。それじゃあ西園寺さん。後で伺いますから。」

「ああ。待っている。それでは臣行くぞ。」

俺はようやくホッとして部屋へ戻る事ができた。





「すみません西園寺さん。めんどくさい事お願いしてしまって。」

「まったくお前は謝ってばかりだな。かまわないと言っているだろう。
しかしさっきの臣の顔はおもしろかったぞ。
あんな臣の顔が見れるとは。啓太のおかげだな。」

西園寺さんはとても楽しそうだけど俺は心苦しい。
とても大切にしている西園寺さんの言う事でさえきっぱりと
承服しかねる。と言ってくれた七条さん。

それなのに俺はその言葉を裏切ってしまった。
きっと七条さんは嫌な気持ちだっただろうな。

「啓太。いつまでも暗い顔をするな。臣のことなら心配いらないぞ。
私がちゃんと説明しておいたからな。」

「そうなんですか?ありがとうございます。俺追試頑張りますから。」

西園寺さんの優しさにグッときてしまう。

「ところで。ヒアリング以外は追試はないのか?
他の英語はどうなんだ?」

「あっ大丈夫です。ヒアリング以外は全部平均点以上取れたんです。
七条さんが丁寧に教えて下さったんで…」

そう。本当に今回の試験俺なりに頑張ったんだ。
MVPになったからって運だけの人間なんて思われたくないし、
俺が悪いと七条さんまで悪く思われてしまうかもしれない。

絶対そんな事にはしたくない。それなのにどうして。

「何故ヒアリングが出来ないのだ?
お前はそんなに耳が悪いとも思えないし、
臣の発音は完璧のはずだが…。」

どきっ その通りです。でもそれ由に問題が…。

「何だ。はっきり言ってみろ。そうでなくては教え様がない。」

容赦ない。西園寺さん。

「あの…笑わないで欲しいんですけどその…
七条さんの発音があの…キレイすぎて…その…」

何て言えばわかってもらえるのだろう。日本語まで不自由だよ。俺。

「成る程。啓太は臣の声に聞き惚れて勉強にならない。そういう事だな?」

「そうなんです。七条さんが英語を話せる方だって事は
もちろん頭では分かってるんですけど、
なんか実際聞くとドキドキしちゃって。」

「まったく。結局はのろけ話か。あきれて物が言えないな。」

そういう訳ではないんですが…でも口に出して言うと怒られそうだから、
俺は「すみません。」とだけ言う事にした。

「また謝る。お前はもっと堂々としていろ。いいな啓太。」

「はい。ありがとうございます。もっともっと頑張ります。」

せっかく西園寺さんが教えてくれるのに
再追試なんて事にならない様に一生懸命頑張ろう。






ここ3日七条さんと話をしていない。
寮でも学園でも会計室でも…
俺と目が合うとにっこり笑ってくれるけれどすぐにそそくさと席を外してしまう。

今もそうだ。
俺が会計室へ顔を出したとたんにお茶を入れに立ち上がってしまった。

今までも結構そうだったかもしれないけど、なんか避けられてるかもって思うと、
1つの行動でさえ気になってしまう。

「伊藤君。今日はアプリコットティーを煎れてみました。
僕はこれから学生会室へ書類を届けに行きますがゆっくりしていって下さいね。」

一方的に話すとすぐに出て行ってしまった。

「俺嫌われちゃったのかな?」

思わず独り言をつぶやいてしまう。
この間嫌な思いさせちゃったからかな…
目の奥がツンと熱くなる。
こんなことで泣く訳にはいかないよ。

「啓太。なんて顔をしている。
臣に言いたい事があるならばちゃんと話せばいいだろう。
まったく臣も臣だ。臆病者にも程がある。」

西園寺さんが俺の目を真っ直ぐに見つめてくる。
俺は泣きそうになっていた事も忘れてその真剣な眼差しに見入ってしまった。

七条さんとはまた違う端正な顔。
そして誰より男らしい真っ直ぐさ。

「臆病?七条さんがですか?」

そんな事はないだろうと思うけど、西園寺さんから見るとそう写るんだろうか?

「とにかく啓太。今夜から臣にヒアリングを教われ。私は降りるぞ。」

「ええ?そんな困ります。お願いです。テストまで教えて下さい。」

何で?この間はいいって言ってくれたのに…
七条さんは俺と話すのを避けているみたいだし…

「啓太。天然にも限度があるぞ。
とにかく今夜は臣の部屋へ行ってちゃんと話をして来い。」

俺。何か変な事言ったのかな?でも七条さんと話をしたいのは間違いない。

「わかりました。俺 ちゃんと話をしてきます。」

「そうしてくれ。ケアレスミスばかりで仕事にならない。」

??何だかよくわからないけど…とにかく今日は七条さんの部屋へ行こう。
だって俺絶対七条さんにだけは嫌われたくない。とにかく謝らなくちゃ。




啓太は確かヒアリングは得意と言っていた気がしますが・・・
その辺は聞き流してくださいね。
うちの郁ちゃんはいつも啓太ののろけを聞かされてます。
でもそれも可愛いと思ってしまう甘い郁ちゃんなのでした。