あの時、どうして俺はあの手を取らなかったのだろう・・・

伸ばされた手を・・・つかむだけで良かったのに・・・

一歩踏み出すだけで良かったのに・・・

あの日の・・・17歳の俺の姿が浮かんでくる。

彼と・・・家族のどちらを取るか・・・

一瞬の迷いを見て取って彼はそっと手を引いた。

あの時・・・あの時・・・









暑い夏の日の事だった。
夏休みで久しぶりに実家に帰ってきていた俺は退屈していた。
休みの始めのうちに地元の友達とは遊びつくしたし、
宿題も一応終わりは見えてなんとなくぶらっと家を出た。
何とはなしに歩きながらこれから何をしようかぼんやりと考える。
自販機でペットの水を買い飲む為に少し上を向いた時少し遠くにそれは目に入った。

大きな古い洋館。
昔からそこに建っていることは知っていたけれど
絶対に近づいてはいけないといわれてきた所だ。
暇だった所為かも知れない。無性に心惹かれた。

昔母から聞いた話によると、
その洋館の持ち主は大層変わった人物で偏屈なおじいさんだったらしい。
もう大分前に亡くなったらしいけど
建物の権利や土地がどうとかで売ったり出来なくてそのまま放置されているようだ。
手が加わらない家は傷んでいくのだろうし
何度か洋館を見に入った業者達がいたみたいだけれど
その人たちがここには化け物がいる。って言い出して
この辺りでは幽霊屋敷と呼ばれている。
ようし、今日は肝試しだ。
何て軽く思ったのが俺の人生を大きく変えてしまった。


そうっと門を押してみる。
錆びた真鋳の門はぎいっと嫌な音を立てる。
しぃっ。っと自分に言い聞かせながら門の隙間を通り抜ける。
庭は思った程荒れてはいない。
もちろん木や草は伸び放題だけれどなんとなく誰かがいる様な気配を感じた。

背中につっと汗が滴る。暑いのか・・・それとも・・・

「ようし・・・いくぞ。」

小さな声で自分に気合を入れ庭を抜け洋館の玄関の扉に手を掛ける。
どうせ鍵が掛かっているんだろうし、そうしたら窓から中を覗いてみよう。
そんな事を考えながらそっとノブを回す。
すると予想に反してかちゃっとドアが開いてしまった。

「うわっ。」

思わず声を出して慌てて口を塞ぐ。
結構無用心なんだな。
ひょっとして浮浪者とか住み着いていたりするんじゃあないのか?
幽霊どころかそんな事になっていたら駄目じゃん。
確かめてやろう。
さっきまでの恐怖感は全くなくなり、今度は使命感に燃えた俺はそっと館に踏み入れた。

「こんにちは~。誰かいますか~?」

声を掛けてみるけれど反応は無い。
そうだよな。出かけてるかも知れないし住んでいるという証拠かなんか見つけないとな。
吹き抜けの階段を昇る。
やっぱり長い事放置されていたにしては綺麗な気がする。

「すみませ~ん。誰かいませんか~?」

一応声を掛けながら階段を昇り終えると大きな部屋に出る。

「あ・・・」

屋根が抜けて大きな穴が開いている。
ここじゃあきっと眠る事は出来ないよね。じゃあ違う部屋かな。

「そこにいるのは誰ですか?」

「うわぁ!」

急に声を掛けられて心臓が止まりそうになった。

「すみません。勝手に入ってきて・・・俺、怪しいものじゃあ・・」

そう言いながら振り返った俺は多分5分くらいはフリーズしていたと思う。
銀の髪、紫の瞳・・・長身で黒の服を纏った物凄くカッコいい人がそこには立っていた。

「君は・・・誰ですか?」

問われてようやく世界が動き出す。

「あ・・・あの・・すみません。俺・・伊藤啓太って言います。
その・・ごめんなさい。勝手に入って来ちゃって・・あの・・ここの方ですか?」

なんだか外人然とした綺麗な人から流暢な日本語が出てくるのって不思議。

「はい。僕は臣といいます。ここに住んでいます。」

うわ~日本名だよ。しかもとっても丁寧。
何だか俺は安心してしまってほっと溜め息を付いた。

「あの・・・臣さんはずっとここに住んでいるんですか?」

「はい。ご主人様が永い眠りについてしまったのです。
それからは僕はここにずっといるのですが・・・
ご主人様の眠り以来人が沢山やってきて・・・
お願いですから静かに眠らせてあげて下さい。
とお願いすると皆さん悲鳴を上げて去っていかれてしまうのです。
僕は何か悪い事をしてしまっているのでしょうか?」

寂しそうに目を伏せる。
うわ~憂い顔も整った人がするとかっこいいなぁ。
俺はそんな所に目が行ってしまって慌てて答えた。

「いえ・・別に何も悪い事はしていないと思いますよ。
だって臣さん。とても紳士的ですし、言葉遣いも綺麗ですし・・・
当然の事しか言っていないと思いますけど・・どうしてでしょうね。」

「でも、こんな風にお話をしてくれるのは君が初めてです。
啓太君は優しいですね。」

「あの・・・ここで1人で暮らしているんですか?寂しくないですか?」

すると彼はきょとんとした顔で俺を見返す。

「寂しい。とはどういう事でしょうか?」

そう問われて今度は俺がきょとんとする番だった。

「ずっと1人なんでしょう?
話し相手が欲しいとか、誰かと遊びに行くとか・・・恋人が欲しいとか・・・」

「話し相手・・・そうですね。
君とこうしてお話できるのはとても嬉しいです。
こういう事なのですか?」

この人・・一体どんな暮らしをしてきたんだろう。不思議で仕方が無い。
もうちょっと近づいてみる。
すると俺が近づいただけ彼は後ずさる。

「あの・・俺別に貴方に何もしませんよ。
そんな風に逃げないで下さい。」

「でも・・・他の方たちは皆僕を見て化け物だといいます。
僕は・・・君に化け物だと思われたくは無いのです。」

化け物?こんな綺麗な人が?何で?

「大丈夫です。そんな事を言ったりしませんから。」

そう言いながら近づく。
すると彼は身体を硬くしながらももう逃げる事はしないでいてくれた。
一歩・・・一歩・・・ゆっくりと近づく。
近くまで来るとやっぱり物凄く綺麗な人だと分かる。

「つっ・・・」

思わず声をかみ殺し足が止まってしまった。
良かった・・・声を抑える事が出来て・・・
皆が言っていた事はこれだったんだ。
近くまで来てはじめて見えた。

・・彼の背には大きな漆黒の羽根・・・

「臣・・さん・・・あの・・貴方は何者なんですか?」

それでも震える足を叱咤してもう一歩近づく。

「さあ・・分かりません。ご主人様は悪魔だと言っていましたが・・・」

「悪魔?何か特殊な事でも出来るんですか?
・・例えばその・・人を呪うとか・・殺す・・とか・・」

「さあ・・やってみた事が無いので分かりませんが、
啓太君がやれと言うならやってみてもいいですよ。」

「うわあ!いいです。やらなくて!
・・あ~良かった。じゃあその羽根で飛べるんですか?」

違う話題に持っていかないといけない気がする。

「羽根?はい。飛べますよ。
啓太君は飛べないんですか?
そういえばご主人様も飛べませんでした。
これは僕が特殊という事なのでしょうか?」

「そうですね。ほら、僕には羽根が無いでしょう?
人間は飛べないんです。
臣さんが化け物だと言われたのも多分その羽根の所為ですよ。
・・・触ってもいいですか?」

この人が悪魔だといわれてもあんまりピンと来ない。
とても丁寧な言葉遣いと物腰のせいかな。

「どうぞ・・・そうですか・・・この羽根の所為だったのですね。」

そういいなが彼は背中を向けてくれる。
漆黒の羽根。近くで見ると光の加減によって緑や紫の光沢を放つ。
そっと触ってみる。
思った通りの羽根の質感。鳥の羽みたいな感じだ。

「臣さん・・・凄く綺麗ですね。
・・・光によって色んな色に見えます。臣さんにとてもよく似合ってます。」

「そんな事を言われたのははじめてです。君は本当に優しい人ですね。」

俺は目の前の悪魔と呼ばれる人についてもっと知りたいと思った。
こんなに優しい綺麗な人がたった一人でここに暮らしていたかと思うと胸が痛む。

それから俺たちは長い間話をした。
臣さんがどうやってこの世界に来たのかとか、ここでの暮らしとか・・・
俺のこともいっぱい話した。
臣さんはとても嬉しそうに俺の話を聞いてくれた。

「ご主人様ってとってもいい人だったんですね。」

「はい。とても真っ直ぐな方でした。
僕に色々教えてくれましたしね。
言葉をはじめ、この世界での暮らし方を教えて下さいました。」

ご主人様の事を話している時の臣さんはとても楽しそうだ。
そりゃそうだろうな。世界の全てはご主人様中心に廻っていたんだから・・・

「臣さんの名前もご主人様がつけたんですか?」

「はい、召喚された折に開口一番、お前の名前は七条臣だ!と言われましたよ。」

「臣さん。ちゃんと苗字まであるんですね。へへっいい名前です。」

俺がそういうと臣さんは少しくすぐったそうに笑った。

「啓太君は僕を嬉しがらせるのが得意ですね。
こんな気持ちは初めてです。
今日初めて会ったばかりの君に教えられる事がいっぱいです。」

「じゃあ。俺毎日来てもいいですか?まだ夏休み10日くらいあるし・・・。」

「もちろんです。なんならずっとここにいてくださっても構わないのですよ。」

「え?・・・ここに・・・いや・・それはちょっと・・」

今だって段々暗くなってきて恐いんだ。
やっぱりいくら傍に家の人がいたとしたって廃屋の中では休めない。

「すみません。・・ちょっと・・真っ暗でこわいし・・
あの・・臣さんは何処で寝てるんですか?」

「僕は休まなくても大丈夫なのです。
ご主人様の様に寝たり食べたりはしなくてもいいのです。
・・・あぁ・・啓太君はベッドが必要ですよね。
では明日はキチンと片付けておきます。それでいいですか?」

片付けるったってかなり無理があるんじゃないのか?
でもとりあえずこの人と一緒にいたいと思うのは間違っていない。

「分かりました。じゃあ明日また来ます。本当に来ていいですか?」

「もちろんです。楽しみにお待ちしていますよ。絶対に来て下さいね。」

そう硬く約束をしてその日は別れた。


それから毎日のように俺は臣さんのところに通った。
驚くべき事に次の日にはもう部屋の中がキチンと片付いていて
キチンとメイキングされたベッドとテーブルセットなどが用意されていた。

そして臣さんはとても美味しい紅茶を淹れてくれた。

「とっても美味しいです。
俺、紅茶なんてどれも同じだと思っていたんですけど違うんですね。」

「ふふっそう言って頂けるととても嬉しいです。
ご主人様がとても紅茶好きな方だったのでこれだけは得意なんです。」

他愛の無い会話がとても楽しく時間があっという間に過ぎていく。

そんな生活が5日程続いたある日、
俺がそろそろ帰ろうと立ち上がると臣さんにそっと手首を摑まれた。

「啓太君・・・今日は・・ここに泊まっていって頂けませんか?」

覗き込んでくる紫の瞳がとても綺麗で俺は思わず見惚れてしまっていた。
その瞳が強い意思を放つ。

「お願いです。僕を1人にしないで下さい。」

そう乞われて俺は嫌だと言えなくなってしまった。

「分かりました。でも・・離れないで下さいね。
俺・・・やっぱり夜はちょっと恐いですから・・」

「もちろんです。絶対離れませんから安心してくださいね。」

そう言うと彼はとても綺麗に笑った。
本当に綺麗な人だと思う。そしてとても魅力に溢れた素敵な人だ。
そう思いながら臣さんの顔を見つめていると急にふふっと笑われた。

「俺・・何か変な事しましたか?」

そう問うとまたしてもふふっと笑う。

「本当に君は可愛いですね。」

そう言いながらおでこにチュッとキスをされた。

「うわあ!な・・何するんですか?」

大慌てで彼から離れる。び・・びっくりした。

「何ってキスです。今度は唇にさせて下さい。」

そういった途端に腕の中に抱きすくめられていた。
あまりの出来事に俺の頭はパニックを起こし真っ白だ。

俺・・今・・キスされてる・・・

段々深くなってくるキスに頭は付いていかず息は苦しくなり・・・

ぼうっとしてしまう。

気持ち・・・いい・・

彼の身体の温もりと、ちょっと苦しいくらいの腕の力とは対照的な優しいキスと・・
ようやく唇が離れた時には俺は脱力し、くったりと彼に身体を預けていた。

「ねえ、啓太君。僕は君を愛しています。僕は君とずっと一緒にいたいのです。」

俺は今されたキスの衝撃を受け止める間もなく畳み込まれ余計頭が真っ白になってしまう。

「愛・・してる?」

「はい。君の事を愛してしまいました。
最初に会った時君が言っていた寂しいという感情を初めて理解しました。
毎日君が帰ってしまうのがとても寂しい・・・
ずっとずっと一緒にいたいと思ってしまったのです。
これがご主人様の言っていた愛なのですね。
・・君と共にいたいと思う。
そして君を守って差し上げられたら・・・と願います。」

俺・・・は・・・臣さんの事はとても好きだし一緒にいると楽しい。
それに色々な事を教えて貰ったり教えたりしてとても嬉しいとも思う。
これはどんな感情なんだろう。愛ってどんなものなんだろう。

まだ、よく分からない・・・

「俺・・臣さんのこと大好きです。
でも・・愛してるって良く分からないです。」

「いいのですよ。そう言って頂けるだけで。
とても嬉しいです。今夜は傍にいてもいいですか?」

「はい。傍にいて下さい。」

臣さんの温もりが伝わってくる。とても落ち着く。

「ではベッドにどうぞ。」

そう言われてはい、と返事をしようとしたけれどちょっちょっと待って・・・
ベッドってまさか・・・
そう思いながら顔を見上げると左眉を下げ困った顔をしている。

「大丈夫ですよ。襲ったりしません。
もちろん啓太君が良いというのならば遠慮はせず頂きますけれども・・・」

「い・・いや・・あの・・遠慮して下さい。お願いします。」

俺が真顔で訴えると目の前の紫の瞳がすっと細められる。

「ふふっ本当に君は可愛いです。愛していますよ。啓太君。」

俺は真っ赤になった顔を見られたくなくて
彼の腕の中から逃げ出しベッドに潜り込んだ。
すると当たり前のように横に臣さんが入ってくる。

「あ・・・あの・・お・・みさん?」

「あぁ心配しないで下さい。
別に何もしませんよ。
一緒にくっついて寝るくらいいいでしょう?」


そんな事を言われたって俺、こんな綺麗な人が隣にいたら眠れる訳無いじゃないか。
どうしよう・・・俺きっと今真っ赤だ。
とにかく顔を見られたくなくてベッドに顔を埋める。
するとギュッと抱き寄せられた。

「本当に・・・啓太君は可愛いです。
こんな気持ちは初めてなんです。
僕は一体どうしてしまったんでしょうか。」

呟くような声が聞こえてくる。
俺はなんと答えて良いか分からずずっと身体を硬くしていた。
そのままの体勢で臣さんはぽつぽつと色んな事を話してくれた。
その話の中で俺は彼がどれだけ孤独に生きていたのかを垣間見て胸が痛んだ。

俺が・・・傍にいてこの人を支えてあげたい・・・

そう思いながら俺はいつしか深い眠りに墜ちていった。

初のパラレルに挑戦です。
はっきり言ってお誕生日お祝いになってないです。
とりあえず3日毎日更新の予定・・・
そして3日で完結の予定・・・
あくまで予定・・・orz